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錦絵と写真でめぐる日本の名所

描かれた「八景」をめぐる

「八景」という名所

日本には、「八景」と称する名所が多くあります。その元になったのは、中国北宋時代の文人・宋迪そうてきが描いた『瀟湘八景しょうしょうはっけい』とされます。日本の絵師や歌人は、身近な風景を『瀟湘八景』に見立て、日本独自の「八景」を続々と生み出しました。江戸時代には、案内記や錦絵の広まりとともに、庶民にも親しまれるようになりました。

『瀟湘八景』は、景勝地として知られた中国湖南省の瀟湘地域(洞庭湖とそこに流れ込む湘江の流域一帯(1))の8つの風景を題材とした山水画の画題です。瀟湘地域の風光明媚な水辺の風景を、季節や天候、時間帯と組み合わせて描いています。日本では、室町時代に勘合貿易を通じて中国から輸入された様々な『瀟湘八景図』が、日本の禅僧や武家、公家の間で好まれ、山水画の画題や、漢詩、和歌の題材として広まりました(2)

  • 山市晴嵐さんしせいらん:晴れた山里に霞が漂う情景
  • 洞庭秋月どうていしゅうげつ:洞庭湖の上に秋の月が照る情景
  • 漁村夕照ぎょそんせきしょう:夕日に照らされる漁村の情景
  • 煙寺晩鐘えんじばんしょう:夕霧が煙る中で遠くの寺の鐘の音が響く情景
  • 瀟湘夜雨しょうしょうやう:瀟湘に夜の雨が降る情景
  • 平沙落雁へいさらくがん:砂原に雁が舞い降りてくる情景
  • 遠浦帰帆おんぽきはん:夕暮れどきに帆かけ舟が遠方から帰ってくる情景
  • 江天暮雪こうてんぼせつ:夕暮れどきに河の上に雪が降る情景

室町時代の画家・祥啓による「瀟湘夜雨」(小川一真刊)

ここでは、代表的な日本の「八景」をいくつかめぐってみましょう。

近江八景

『近江八景』は、琵琶湖周辺の8つの風景で、「粟津晴嵐あわづのせいらん」、「石山秋月いしやまのしゅうげつ」、「瀬田夕照せたのせきしょう」、「三井晩鐘みいのばんしょう」、「唐崎夜雨からさきのやう」、「堅田落雁かたたのらくがん」、「矢橋帰帆やばせのきはん」、「比良暮雪ひらのぼせつ」から成ります。室町時代に関白・近衛政家(1444-1505)が選んだ(3)とも、安土桃山時代に関白・近衛信尹のぶただ(1565-1614)が選んだ(4)とも伝えられます。
江戸時代になると、名所図会や名所記、錦絵に多く描かれるようになりました。中でも、江戸時代後期の絵師・歌川(安藤)広重(1797-1858)が描いた『近江八景』によって、広く人々に知られるようになりました。歌川広重は、生涯に50組もの「八景」を制作し、そのうち20組以上が『近江八景』でした(5)
『近江八景』は、後に日本で様々な「八景」が生み出される先駆けとなりました。

歌川広重の「近江八景」

金沢八景

『金沢八景』は、現在の神奈川県横浜市金沢区周辺の8つの風景を選んだものです。「洲崎晴嵐すさきのせいらん」、「瀬戸秋月せとのしゅうげつ」、「野島夕照のじまのせきしょう」、「称名晩鐘しょうみょうのばんしょう」、「小泉夜雨こずみのやう」、「平潟落雁ひらがたのらくがん」、「乙艫帰帆おつとものきはん」、「内川暮雪うちかわのぼせつ」から成ります。
江戸時代前期に、徳川光圀が招聘した明の禅僧・東皐心越とうこうしんえつ(1639-1696)が、金沢能見堂からの内湾の眺めを『瀟湘八景』になぞらえて漢詩8首を詠んだところから、金沢八景という呼称が定着したといわれます(6)

歌川広重の「金沢八景」

江戸の八景

江戸でも数々の「八景」が生まれました。早い時期のものでは、元禄3(1690)年に出版された『増補江戸惣鹿子名所大全』(7)に「浅草晴嵐」、「忍岡秋月」、「愛宕夕照」、「増上晩鐘」、「隅田夜雨」、「目黒落雁」、「鉄淵かねがふち帰帆」、「富士暮雪」が挙げられています(8)

歌川広重の「江戸近郊八景」

歌川広重は、『江戸近郊八景』として「芝浦晴嵐」、「玉川秋月」、「小金井橋夕照」、「池上晩鐘」、「吾嬬杜あづまもり夜雨」、「羽根田落雁」、「行徳ぎょうとく帰帆」、「飛鳥山暮雪」を錦絵に描きました。これは、狂歌師・大盃堂呑桝たいはいどうのみますの依頼を受けて制作したもので、それぞれに狂歌が書かれています。

渓斎英泉の「江戸八景」

また、広重と同時代の絵師、渓斎英泉けいさいえいせん(1790-1848)が描いた『江戸八景』は、「日本橋の晴嵐」、「愛宕山の秋の月」、「両国橋の夕照」、「上野の晩鐘」、「吉原の夜雨」、「隅田川の落雁」、「芝浦の帰帆」、「忍岡の暮雪」となっています。

江戸の「八景」として必ずしも定まったものはなく、江戸を象徴する風景として思い思いの場所が選ばれ、描かれていたことがうかがえます。
他にも『葛飾八景』、『玉川八景』、『隅田川八景』、『浅草八景』など、江戸やその近郊で多種多様な「八景」が生まれました(9)

現代につながる「八景」

近現代になると、都市開発や自然災害などによって歴史ある「八景」の景観が失われていく一方で、新たな「八景」を制定・選定して地域振興や観光資源として活用する例も見られるようになりました(10)
かつて『近江八景』が生まれた琵琶湖周辺では、戦後新たに『琵琶湖八景』が選ばれました。

琵琶湖八景は、「煙雨 比叡の樹林」、「涼風 雄松崎の白汀」、「暁霧 海津大崎の岩礁」、「新雪 賤ヶ岳の大観」、「深緑 竹生島の沈影」、「月明 彦根の古城」、「春色 安土八幡の水郷」、「夕陽 瀬田石山の清流」の8つから成ります。昭和24(1949)年に琵琶湖周辺が国定公園に指定されたことをきっかけに、県民の公募で選定されました。

煙雨 比叡の樹林

涼風 雄松崎の白汀

暁霧 海津大崎の岩礁

新雪 賤ヶ岳の大観

深緑 竹生島の沈影

月明 彦根の古城

春色 安土八幡の水郷

夕陽 瀬田石山の清流

新しい「八景」には、『瀟湘八景』のような地名と気候の掛け合わせにこだわらず、その風景を象徴するキーワードを独自に選んだものも多く見られます。それでも、開けた水辺の眺望や、夕焼け、月明かり、雪化粧など、美しさを見出すモチーフとしては、『瀟湘八景』と共通するところも多いようです。

時代や地域によって見える風景は移ろいながらも、人々がその場所にある風景の美しさを見出し、伝えてきたことが、「八景」という形で受け継がれています。

国立国会図書館が所蔵する主な「八景」の錦絵をまとめたページを作成しています。こちらもあわせてご覧ください。

  1. ^
  2. ^
    横谷 賢一郎「瀟湘八景から近江八景へ : 湖水情景画題の和様化 」『紫明』(41) 2017.9 p.23 ほか
  3. ^
  4. ^
    横谷 賢一郎「瀟湘八景から近江八景へ : 湖水情景画題の和様化 」『紫明』(41) 2017.9
  5. ^
  6. ^
  7. ^
  8. ^
  9. ^
    同上、p.127-132
  10. ^

参考文献

冒頭画像の出典

五雲亭貞秀 画『東海道近江八景一覧之圖』(園原屋正助 1863)

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